下北沢の歯医者 下北沢せきにし歯科
〒155-0033
東京都世田谷区代田6丁目3−1
KAWANO SHIMOKITA NORTH 2F
[ TEL:03-6416-8602 ]

院長紹介

下北沢せきにし歯科医院 院長

院長

関西 一史

Kazuhumi Sekinishi

経 歴

2006年 日本歯科大学卒業後、同大学附属病院にて臨床研修
2007年 東京医科歯科大学歯学部附属病院歯周病科にて勤務
同時期に数カ所の歯科医院に勤務
2013年 下北沢せきにし歯科医院を開設

所属学会

  • 日本歯周病学会
  • 日本臨床歯周病学会
  • 日本抗加齢医学会

所属・認定医

  • 日本歯周病学会認定医

StudyGroup

  • JSCT(The JIADS study club of Tokyo)
  • 情熱会
  • 川口ペリオインプラント勉強会

Qualification

Qualification

Certificate

Certificate Certificate

ご挨拶

幸せと癒しを提供する歯科医院
プロフェッショナル集団による世界基準の医療を提供
困ったら必ず選ばれる歯科医院
患者さんとの生涯のおつきあい

はじめまして。2013年、東京・下北沢の地にて「下北沢せきにし歯科医院」を開業して以来、地域の皆さま、また当院のコンセプトに共感して他県よりお越しいただく患者さんお一人おひとりの状況に、最適かつ、安心安全な医療を心がけてまいりました。

下北沢という土地の歴史を調べてみますと、玉川上水を源泉にした湧水がわき出る、自然豊かな場所であることが分かります。つまり、下北沢は昔から周辺地域の方々にとってオアシスのような存在だったのです。

下北沢という地で開業するに至ったのには、もしかしたらお互いに引き合うものがあったのかも知れません。「下北沢せきにし歯科医院」はみなさまの歯の健康をサポートすることで、心も体も癒される都会のオアシスのような医院であり続けたいと思っています。

豊かで自分らしい生活を実現するために

当院は、多くの方々にヒアリングし、本当に心の底から望んでいらっしゃる「歯がずっといつまでも健康であってほしい」という想いを実現するために開院しました。
ご年輩のかたが、共通しておっしゃることは「歯は一生の宝物」です。

世界基準の医療を

世界基準の医療を

欧米ではお口の健康を維持することは、身体全体の健康を維持することと同じと考えられています。いくつになっても美しい歯で、正しい噛み合わせを維持するためにはどのような医療が必要かということに、患者さんも医療側も取り組んでいます。ところが日本では、対症療法的なむし歯の治療がまだまだ一般的というのが現状です。

歯周病やむし歯、その他の口腔疾患はれっきとした病気です。自然治癒はありません。
わたしたちは、1本の歯だけを診るのではなく、メンバー全員で患者さんの口腔内全体を診療し、全身疾患の予防を目指します。口腔内全体の診療を行うことにより、口腔内をより良い環境に整えて繰り返し治療を防ぎ、メンテナンス予防で口腔内の健康を維持できるようにします。患者さん自身の人生に影響するような診療を心がけています。
最新の知識・技術をたえずアップグレードしつつ、科学的根拠に基づいた(Evidence based)検査、診断、治療計画の立案と何度でも再現性があり、長期予後が保証される治療を目指しています。

「最後の治療」「歯を失わない予防」へ

私は歯科医師になって、数多くの患者さんを診てきましたが、9割以上は以前の治療のやり直しです。治療を繰り返すたびに健康な歯は失われ、痛みを伴う可能性が高まるので、患者さんはもちろんのことですが、私たちも落ち込みます。どうしたら二度と同じ思いをせずにすむのかという、その思いでずっと世界の最先端の知識や技術を学び、医療を続けて参りました。

その思いを胸に私たちは「今回で最後という覚悟を持った治療」「歯を一本も失わない覚悟を持った予防」という2つの覚悟を持った診療を行っております。
患者さんに対して、真剣勝負ということです。

ずっと自分の歯で暮らす

今ある歯を残すことを最優先とし、歯周治療、矯正治療、かみ合わせ治療、審美歯科治療、インプラント治療といったあらゆる治療の中から、一人ひとりにあったオーダーメードの治療をご提供しております。歯や骨、失った機能を取り戻すため、悪くなった原因を追及し、その原因排除に努めます。

安定したお口の健康で、人生の喜びを噛みしめませんか

最も大切なのは、メインテナンス予防。もともと健康な方も、治療を終えた方も、その健康を長く維持することをかなえるために、一人ひとりに適切なオーダーメードの予防プログラムをご提供しております。悪くなるリスクを追及し、一緒にそのリスク対策をしてゆきます。

すべての健康はお口の健康管理から

これまでの治療を繰り返すスタイルの歯科のイメージだと通院が苦痛かもしれません。しかし、健康なお口の予防ケアで痛みを伴うことはまずありえません。治療は一時的に苦痛を伴う可能性がありますが、治療を終えた後は二度とネガティブな思いをしなくてすむことを自負しております。

皆さんがずっと笑顔で健やかに通ってくださるような歯科医院でありたいと思っております。

院長について

院長について

座右の銘 人生一回性

  • 世界中の事をできるだけ多く知りたいという気持ちを常にもっている
  • 否定するときは、まず一度経験してから否定するように心がけている
  • 因果応報:良い(悪い)行いは全部自分に返ってくると考えている
  • 人との出会いが大切だと考えている

強み(strength)

未来志向、ポジティブ、個別化、目標志向、着想

趣味

映画鑑賞(ミニシアター系)、音楽(ハワイアン、フジロック)、読書、お笑い、旅行、スナップ写真、登山

院長の生い立ち

  1. 子供時代

    埼玉県川越市で2歳まで育ちました。父が大学に残り臨床をしながら研究をしていた頃です。当時の記憶はほとんどありませんが、友達が多くいたこと、日本国旗のことを埼玉県の旗と呼んでいたことを記憶しています。

    京都府京田辺市に今もある、せきにし歯科医院開業のタイミングで、同地へ引っ越します。私の父も歯科医師で、現在も「京都でいちばんスマイルにする歯科医院」というコンセプトのもと、地域の方々の歯の健康を守り続けています。
    私はそうした父の背中を見ながら育ってきました。父は技工物も一部自分で製作しており、診療後の夜や休日に見せてもらうのが楽しみだったことを覚えています。特に金属の鋳造は、その工程を不思議に思いながら眺めていました。また、診療中にたまに立ち寄ると、たくさんの患者さんに感謝されている姿をみて、誇らしく思うと同時に自分も将来歯科医師になりたいと強く思うようになりました。

    父は非常に厳しく、「結果がすべて」とよく言われました。当時は、その経緯を見てくれないことにつらさを感じましたが、今では非常に感謝しています。今の自分につながる重要な考え方で、医療は素晴らしいオペをしても失敗したら評価されませんから。

  2. 小学生時代

    それまで標準語で話していた私は、小学校時代にはすっかり地元の言葉になり、よく先生にしかられるようなやんちゃな子供でした。3歳から両親に連れられて始めたスキーは、小学生から中学卒業までスキークラブに所属し、親元を離れ毎年合宿に参加しました。競技スキーから攻めの姿勢やとっさの判断、姿勢の重要性、バランス感覚など、今の自分のベースになるものを得ました。

    幼い頃より手先が器用で、特に絵に関しては誰に教わるわけでもなく、よく担任の先生や美術の先生に褒めていただいたり、表彰をしていただいた思い出があります。今でも美術館にとどまらず、建築や写真、インテリアなどあらゆる芸術を見て回ることが大好きです。京都の寺院はもちろん、世界遺産のような先人の遺したものや、自然遺産、海や川、山、手つかずの原生林などをこよなく愛しています。実は天然歯もアートとしてとらえると奥深いものがあります。可能な限り天然の状態に回復してゆく行程は繊細で緻密さが求められます。作り手によって異なる、2つとして同じものがない作品だと思います。

  3. 中学高校時代

    中学・高校は大阪市内のカトリックの男子校に通いました。非常に厳しい学校で、大阪のさまざまな誘惑の中、ほとんど遊び歩くことはありませんでした。そんな環境の中で思春期を過ごしたわけですから、今でもつきあいのある友人達は非常にまじめで優秀な人物ばかりです。

    大学生活で都内に出てきてからは、人生を大きく変えるような出会いや経験をたくさんしました。
    最も大きな経験は「旅」です。国内では18切符を片手に、海外では往復航空券を片手に東南アジアを中心に、長期休暇のたびいわゆるバックパッカーをしていました。自分の目で見てまた、いろんな人と出会って経験したものは、自分にしかない財産です。世界を意識するようになり、また多様性のある「人」を意識するようになりました。常に世界レベルで見て、「人」の多様性を愛する、歯科医師になっても変わらない自分の核となる部分です。

    学生時代の病院実習が私の方向性を決めました。大学の歯周病科を中心とした先輩方の診療に1年間つき、その姿勢に感銘を受けました。自分のやるべき道、つまり「歯周病を中心に治療し、そのために口腔内全体を総合的に診る」という大きな光が見えました。
    親友との出会いは、今でも刺激を与え合う良い関係が続いています。最新の情報交換をし、お互い気兼ねなくディスカッションできる関係は非常に大切です。
    飲食店でのアルバイトや他大学のサークルに所属することによるたくさんの人との出会いも、歯科大学という単科大学の枠を越えて、さまざまな良い影響を受け、本当の生きがいをもって生きることの大切さを教わることができました。

  4. 歯科医師になってから 大学卒業後は、母校の大学病院と歯科医院で研修医をさせていただきました。
    研修後、東京医科歯科大学歯周病学分野に治療だけでなく、文献を含めたさまざまな知識を勉強するために4年半在籍させていただきました。東京医科歯科大学は、全国から優秀な歯科医師が集まりますから、出会った歯科医師たちからたくさんの影響を受けました。特に「治療計画」の重要性を徹底的に教わり、さまざまな議論を交わし、たくさんの学びを得ました。現在でも一緒に勉強する熱い仲間は大きな財産です。
  5. 開業

    自分のこれまで得た知識や技術をどこで伝え発揮するかを考えたとき、生活し愛するこの地で、皆さんの人生のお役に立てるような歯科医療を提供したいという想いで下北沢で開業する運びとなりました。一人でも多くの患者さんの歯を守り、その方法をお伝えしたいという想いで、妥協することなく可能な限り歯を残すため、診療記録を何度も何度も見返し整理し、シミュレーションを繰り返す日々です。どんどん変化してゆく医療、社会の中で日々成長し続けようとさらなる向上を目指しています。得たものは世に発信し、どんどん後続を育て、豊かで健康な生活を実現し、世の中をより良くしてゆきたいと思っております。

    また、さまざまな出会いが現在も沢山あります。経営者同士のミーティングでプレゼンをしたり、また、予防チームとして現在コラボレーションしている、柔道整復師 池田先生との出会いもあります。コラボする予防チームのメンバーもどんどん増やしてゆきたいと思っております。

    柔道整復師 池田先生の
    youtubeをみる

提携技工士

斉藤 満也

小さい頃より絵を描いたり物を作ったりすることが好きだった私は中学生の頃より歯科技工士になりたいと思うようになりました。 歯科技工士免許取得後、より学ぶことができる環境に身を置きたい、患者様のお役に立てる技工士になりたいと強く思うようになり数々の講習会に参加し、素晴らしい先生方との出会いがありました。その中で下北沢せきにし歯科医院の関西先生に出会い数多くの事をご教授いただくようになりました。

患者様の歯を作るという事は沢山の情報と知識、高い技術が必要になってきます。 関西先生から緻密な情報と指示をいただくことにより、質の高い治療を行える環境にあるのではないかと思います。 この環境を活かし常により良いものを、患者様に喜んで頂けるものをと考え歯科技工に携わっております。

経 歴

1997年 宮崎歯科技術専門学校 
技工士課 卒業
1998年 大阪セラミックトレーニングセンター宮崎校 卒業
1998年 アメリカ メリーランド州
NTdentalにて研修
帰国後、歯科技工所、歯科医院にて勤務
2006年 東京都立川市にてKIRINJI(歯科技工所)を開設
現在に至る

主な受講コース、受賞、講演発表

  • バーレンoral designコース
    SJCDレギュラーコース(ドクターコース)
  • 西村塾(東京)
  • 大阪セラミックトレーニングセンター卒業時、
    最優秀賞である片岡賞を受賞
  • 新潟カービング道場にて片岡賞 
    青嶋賞を受賞
  • 長野カービング道場にて青木賞を受賞
  • 大阪セラミックトレーニングセンター宮崎校 
    15周年記念講演会にて講演発表